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支えを信じて

先週あたりから堤防を車で走ると、
菜の花の黄色の絨毯が視界に飛び込んでくるようになりました。

春ですねー。
(人´∀`*).。:*+゜゜+*:.。.*:+☆

さくらの蕾も大きく膨み
来週には満開になるのではないかと
想像するだけで嬉しくなります。



こんにちは、坊守です。
\(´・∀・`)/



春になると枝の先に可憐な花をたくさんつけて
華やかに賑やかに励ましてくれるさくらの木、
私の大好きな樹木です。


さくらは
太い幹から長く細い枝が何本も生えています。

あんなに長くて細い枝なのに
雪の重さにも
強風にあおられても耐えられるのは
枝にかかる力に抵抗せず
しなやかにその身を
任せているからなのかも。



長く細く頼りない枝の元には
木の太い幹があります。
太くてどっしりとした幹が
支えてくれているから

枝は安心してその身を任せられるのかもしれません。



「強く生きる」事って
自分を頑なに貫くことではなく、
支えを信じ、
身を任せる勇気を持つ事かもしれません。




辛い時、しんどい時
自分を貫くのではなく
支えを信じて
身を任せてみる。



それが春満開に咲かせる事が出来るさくらのように

私が辛さを超える事が出来る
強さになるのかもしれない。
 
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終わりはない

当たり前
当然

という思いは
どこから湧いてくるのだろう。

どうなるかなんか
わからないのに。
絶対大丈夫な事なんてないのに。

こんにちは、坊守です。
(´,,•ω•,,`)

口先では
いつ死んでもおかしくはない命と言いながらも

私は来年も、明日も、今夜にも
自分には未来がないかもしれないと

これっぽっちも疑った事はない。

今日も1日を迎えられた事に
心から感謝した日が
手を合わせた日が1日でもあっただろうか?

私は傲慢に生きているよなぁと、
思う。

今できる事を明日に延ばし
明日のために今日を生きる。

だから、
ある日突然大切な人達とお別れする事がやってきたら
慌てふためくだろう。

私がこれまで見聞きした、経験した
大切な人とのお別れは、

この世での
命が尽きる時が来る事を
忘れないでと教えてくれる。

だから
悲しいから封じてしまいたいけど
封じてはいけないと思う。

でも私が
死んだら
私の終わりじゃない。

私がこの世から居なくなっても
繋がりはずっと続いていく。
私が生きてきたことで、
遠いどこかでも影響を受けている人がいるかもしれない。

私が生きて存在してたこもは
なかった事にはならない。

私が残した言葉、
私が残した写真、
私が残した思い、

私が生きている間にどこかで誰かが影響を受けるだけでなく
受けた人からも、さらに広がっていくかもしれない。
それは、ずっと続く。

私の人生、私が居なくなったら
そこで終わりではないんやなぁ。

私の人生は私だけのものではないかもしれない。 

変わらぬ光 私の都合

空を見上げて
重たそうな雲があったり
雨がしとしと降ったりすると

なんとなく
億劫に感じたり
気分もどんよりしちゃう。

雲の隙間から光がさして
空にお日様の顔が見えると
ほっとするような
思わずニンマリしたり
それだけで元気になれる。

お日様の顔が見られないと
お日様の光の有り難さを感じられない私。

厚い雲に覆われている空からも
雲ひとつない空からも
お日様の光は
変わりなく、
届けられているはずなのに。

変わらぬ光にも
私の都合で
感謝出来る時
感謝できない時がある事を

気付かせてもらいました。

 

ヒガミは私の心の願望

今日、大型ショッピングモールに行った時の出来事です。


こんばんは、
坊守です。
(*゚∀゚)=3


地方アイドルか、はたまた売り出し中の子かわからないけど、
若い女の子が特設会場で、
歌を唄っていました。
遠目で見てて可愛らしい子だなぁと。


最後に握手会らしきものをしていた時、ちょうど横を通りかかりチラ見したら
若いけど、ばっちりメイク。


その時
「若いのに化粧濃いなぁ、
綺麗だって思われたいのかな」と不意に頭にうかびました。


人前に出るお仕事やし、ばっちりメイクでもいいやん、と思いながらも、
ふいにおもった自分の気持ちが
ヒガミやなぁ…と、
思うと同時に、
これって自分の願望であるのでは?と思った。

私が「綺麗だと思われたい」と思ってる気持ちがないなら
思いつく事もないのではないかと。

ヒガミの気持ちは
自分の願望、
私の心の鏡なんだと思った。




うわー…。
σ( ̄Д ̄ ) 

成人の日

毎年必ずと言っていいほど、
成人式の当日、
成人した子達が
誰かを怪我をさせてしまったり、
自分が怪我をしたり
取り返しがつかないことなど、

テレビやネットのニュースなどで耳にします。

こんにちは
坊守です。

耳にすると本当に辛い話。

お腹の中で「命」が生まれ、

この世に誕生し、
成人するまでの20年間、
親が、周囲が
どんな思いでその子を守り育ててきたのか。

我が子の成人という節目を
どんな気持ちで迎えたのだろうかと想像すると

成人式があったがために起こった事件なら
今日1日がなかった方が良いと
思ってしまうかもしれない。

成人式は
出会いの場でもないし、
自由になれる日ではありません。
祝いの場と、言われるが為か
本来の意味を見失ってしまうのかもしれません。




事件、事故、取り返しのつかないことになってしまう事が、
たとえ一件でも起こるなら

いっそなくなってしまえばいいのでは?
とさえ私も考えてしまう。

事件に関わった子だけの
自業自得とは言えない。

巻き込まれなかったから
関係ない話にして欲しくない。

一人一人どの子だって、
生まれてきた時は
親が愛おしく幸せになってほしいと
願わずにはいられない
大切な命だったんだから。




子供は自分で育ってきたわけではない。


「成人式」は

「成人になれたお祝い」
ですが

成人として自分がこの日を迎える事が出来た親や周囲への

「成人になれた感謝の日」
で振り返り、
考える時間であってほしいと思います。
 
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